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祝祭(七)

 サビヌはまだ怪我をしていない。囲みの前方にいた女性が、サビヌに放たれた拳の勢いを見て悲鳴をあげたものだった。
 ドワーフの拳が酒樽に突き刺さっている。その男の目がサビヌのそれとあった。口の端の髭が微妙に上へと動く。濃い酒の匂いが口から漏れる。
「ったく、悪い癖だな、ハッシュ」
 囲んでいるドワーフの一人が声をかけた。
「フッ、酔いで滑っただけじゃわい」
 少年を見下ろし、ハッシュは腕を抜く。できたての穴から麦酒がこぼれ落ちてくる。樽にもたれかかっていたサビヌは頭からずぶぬれになってしまう。体中を質の悪い酒の匂いで包まれる。
 クシュン。
 少年の鼻と口からくしゃみが放たれる。特に目立った鼻水やつばの飛ばない、かわいらしいくしゃみだ。これがドワーフたちの嗜虐心をそそったようだった。
 ハッシュの拳がサビヌの体をかすめていく。身体自体に接触するかどうかきわどいところを狙い続けている。
 だが、直前まで酒を飲んでいたドワーフだ。狙ったところにうまく拳が進んでいかないことのほうが多いくらいだ。それでもサビヌの体に生傷が増えていく。それと同時に周囲のどよめきも大きくなっている。
 だが、どよめくだけで、だれもこの騒ぎをどうこうしようという直接的な動きは見られない。

「少々やりすぎじゃな」
 マトールが見物連中をかき分け進みながら呟いた。
「てっきり、あなたも合流するのかと思ったけれど」
 右目で軽くウインクしながら、ストウィが後に続く。
「やれやれ、ドワーフ族の名誉を守るために、私まで動かなければならないとは、はぁ」
 イバイも軽口を叩いているものの足取りは軽い。ドワーフ族の戦士、女狩人といった体格派が切り開いてくれた道を歩いていく。
 入り込んできた三人組に、観衆だけではなく、サビヌを囲むドワーフたちも一瞬驚いていた。

(八)

「すまなかったな、小僧」
 マトールがサビヌの体を起こし、声をかけた。突如現れ、酔ったドワーフたちを静かにさせたマトールたち三人組を少年は、ただただ眺めている。何か口にしなければならないのだろう、が、その言葉が出てこない。
「奴らも酒に飲まれなければ、普段は気のいい奴ばかりなのじゃが。今日のことでドワーフを嫌いにならんでくれよ」
 丸い顔を柔らかく崩しながら、片目をつむってみせる。
「マトール、追いかけますか?」
 くたびれたローブを纏ったイバイがドワーフに確認する。
「別にその必要はあるまい」
 ドワーフの力強い腕に引かれ、サビヌは立ち上がった。頭一つほどサビヌのほうが背が高いようだ。
「せっかくいい運動ができると思ったのに、マトールの姿を見るだけでみんな逃げちゃうんだものね〜」
 ストウィが、人混みの向こうに消えていく一団を見送りながら呟く。脇の袋から手拭いを取り出す。サビヌに歩み寄り、頭や体を拭き始める。
「若いの、これから思い人と会うのじゃろう? ストウィのこの布には、臭い消しの薬がしみこませてあるから、いくぶんか麦酒の匂いを消せるはずじゃ」
 辺りにもはや人垣はなくなっている。人々は己の祭りを過ごしに戻っていったのだ。
「え、えっと、ありがとうございました」
 サビヌは頭を下げる。
「動かないの」
 ストウィに体を押さえられる。一見、華奢な体つきだというのに、サビヌの少年の力では逆らうことができなった。
「クンクン、だいたい匂いはとれたわね」
 女性は、少年の上半身に鼻を近づけて犬のようにぴくぴくさせた。満足そうに頷いてみせる。
「いやはや、無垢な少年を惑わせてはいけませんなぁ。匂いもとれたようですし、動こうではありませんか」
 イバイがそう言って杖を指し示した先には市場があった。色とりどりの品々が飾られている。
「して、若いの、わしはマトールじゃ」
「私はイバイと申します」
「ストウィって呼んでね」
 三人の顔を見回しながらサビヌも言葉を返した。
「サビヌです。どこへいくんですか?」

(九)

「せっかくの祭りじゃからな、前途ある若者にお詫びの品を差し上げようと思ってな」
「酔っぱらいに汚された衣装を新しいものに変えてあげたいってわけ、マトールはドワーフの評判を昔から気にしているからねぇ」
 三人に連れられて向かったのは市場だった。普段にもまして無数の市が展開され、人々の姿があふれている。
 しばらくして。
「うむ、こんなものじゃろう」
 一見、地味目にみえるものの、みる者がみれば上質の布地でできた衣装と判ずることができるものである。少年の財布ではとうてい購入できないような額だろう。
「あの派手なものでもよかったでしょうに」
 イバイが後ろをちらりと眺めた。黄色い布地に大きく色とりどりの獣たちが描かれた衣が露店に置かれている。
「そういえば、あんたあーいう派手なのが好きだったわよね、しかも似合わないの」
 イバイは顔を赤らめてうつむく。
「私とマトールが選んだこの衣装なら、君の想い人もいい感じになってくれるわよ」
 ストウィ、マトール、イバイがサビーヌを見つめている。
「ありがとうございました。これじゃ、あのドワーフさんたちに出会えてよかったのかも」
「私たちに会うきっかけになったのですからね」
 イバイがサビヌに首飾りをかける。
「これは、私が知人から貰ったお守りの一つです。きっとあなたの心を守ってくれますよ」

 街に大きな音が響き渡る。辺りの喧噪も一瞬途切れる。
「やっと、祭りの本編開始じゃな」
 神殿内の広場を見下ろす一室で男が呟いた。
「手はずは万端でございます」
「うむ」
 ワインを飲み干すと男は、近くの卓へと杯を置いた。


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