祝祭(四)
「財布持った、手ぬぐい持った」
サビヌは、室内を見つめる。特に一つの木箱を中心に見つめている。
誰それのスペースといったものの決まっていない、家の中で彼のものが多く置かれていたのが、その箱なのだ。幼少のころに、祖父が贈ってくれた箱である。サビヌはこの箱で遊び、この箱に座り、この箱に思い出深いものを入れて、これまで生きてきた。
「よし忘れ物はない……と思う」
エムグラを見送ったあと、下町の住人はほとんど自宅へ戻っていった。普通の民が祭りで盛り上がるにはまだ早い。式典を夜に控え、キングーニャというこの街全体が高揚している。だが、そのエネルギーはまだうねりを許されていない。
式典が終わるまでは、緊張状態が続くよう強いられ続けるのだ。
下町の住人でも、既に祭りの主な舞台となる町中へ移動しているものもいる。祭りを当てこんで一儲けを目論むもの、祭りを盛り上げるために何かしたいというものなど、そんな者たちだ。普段の労働から解放されて、せっかくのんびりと骨休みができるこの時期に、商売をしようという働き者は決してサビヌの住む下町には多くなかった。そんな彼らに呆れるものは少なくないものの、軽蔑しているわけではない。
普通の民が、労働から解放され、愉快な時間を過ごすあいだにも、働く者たちがいる。だからこそ、休むことができるのだ。そのことは、下町の住人も承知している。休暇を過ごす人々を支えるのが、近隣の農村から来るものや、祭りから祭りを渡り歩くものたち、そして街の中でも休暇の余裕がない低所得者たちだった。
少年は一人歩む。祭りをともにまわろうと誘ってくれる友達もいないではなかったが、今年は断っている。式典自体には例年通り両親と一緒に行くつもりだ。エムグラの両親といった、下町の親しい人たちと固まっていくことになるだろう。
サビヌが気づくと、人がだいぶ出ていた。かなり町中へと来てしまったようだ。
さすがに式典まであと数時間というだけあって、混み合い始めている。いつもの夕刻の混み具合よりも、激しいものだ。
「か〜〜っ」
台車をひいた小人が飲みながら歩んでいる。一つの台車を囲む人数は、五人。かわりがわり木杯で樽からすくい、喉に注いでいる。背は低いもののがっちりとした体格、顔の下半分を占める髭がドワーフだと主張している。
サビヌがバランスを崩した。液体が肩にかかる。液体の方向を見ると、髭を濡らしたドワーフがいた。
(五)
「じっとしてくださいまし」
髪結いが声を張り上げた。
「ごめんなさい、ちょっと気になることがあったものだから」
背のない椅子に腰をかけた少女は、そう声を返した。少女と髪結いの婦人の姿が姿見に写し出されている。丁寧によく磨かれている、大きな鏡だ。
「チャリー様、なにやらお急ぎのようですな」
部屋の片隅から声がかけられる。男性にしては微妙に高く、女性にしては低い
――きわどい高さの声だ。
「そんなことはございません。いつも通り丁寧かつ魂を込めて結わせていただいてますわ」
髪結いの手を休めずに、チャリーは言い放つ。視線も少女の髪に向けられたままだ。
「いつもながらみごとな髪でございますこと。あと何年かすれば、お后様のように〈キングーニャの向日葵〉と称されるのでしょう」
少女は視線を少し上へとそらす。
「チャリー、髪、痛んでいないわよね」
チャリーの手が止まる。少女の前へ回り込み、顔を覗き込む。
「えぇ、痛んでおりませんわよ。でも、突然どうなさいましたの、そのようなことを気になされるとは」
少女は顔を赤らめる。何か言おうとするものの、適切な言葉を見つけられずに口をもごもごさせるだけだった。
パンパンッ。
「チャリー殿、今日は稼ぎ時で、他にも十数人のご令嬢の髪を結われるのでしょう? 口を動かしている暇はないのではありませんか。いや、あくまでもこれは私の思いこみかもしれませんが」
チャリーの視線が扉付近に移っている。
「お気に障られましたら、ご無礼お許し願います」
深々と男は頭を下げる。チャリーの見ていないところで、少女はほっと一息漏らす。
――ありがと、テロフ。
「まっ、国中に知られるだけのことはありますわね〜。やはりチャリーの腕はたいしたものですね〜」
木箱を部下に運ばせてきた女官の一人が呟いた。
「それでは、お嬢様の魅力よりも髪結い史の腕のみを褒めているような感じですな」
大部分の女官が出て行った扉を閉めながら、テロフが呟いた。
「ふふっ、ほんとはお転婆娘のお嬢様が〈おしとやか〉などの評判を得ているのは、チャリーや私やテロフの働きのおかげでしょ。少しくらい、こんな風に言ってもいいじゃないの」
部屋に一人残った女官は、木箱の蓋を開ける。祭典で纏う衣装などが入っている。金品や権力に任せて豪奢に編まれたものはなく、地味な衣装が多く見える。
「さてと、式典までまだ余裕がありますが、一度御試着よろしいですか?」
一枚の衣を取り出した。薄く桃色に染められた布地を、シンプルに整えたものだ。後ろから羽織り前で合わせるものである。
「そうそう、あとクネット侍祭からこちらを預かっております」
書状が一通、ツェノワールの手に渡された。
(六)
サビヌは囲まれた。少年も酒臭いのであるが、囲んでいるドワーフたちも酒臭い。
「自慢の髭をどうしてくれる」
ドワーフの握っていた木杯が音を立てて潰されてしまう。
「せっかくの祭りが興醒めだな」
「やはり、わざわざ人間の祭りなどに出かけてくるのではなかったわい」
軽口を叩きながら、濡れ髭ドワーフの求めに応じて、囲みを狭めていった。
道を歩むものたちは、突然起こった騒動にスペースを譲っていく。混み合い方がひどくななりつつある。
囲みをつくるドワーフたちを囲むように見物を決め込む者もいる。囲みの中の様子をわからないまま、好奇心だけで立ち止まり、囲みに加わるものもいた。
「なんじゃい? 振舞酒でもあるのか?」
一般的にこういった祭りなどの際に、領主や有力貴族、豪商といった面々が、大衆の人気取りの一環として、酒をただで配ることがあった。人々も人気を得たいという思惑があることを承知しつつも、その気前の良さに好感を覚えてしまうことが多かったという。
「どうやら、そうではないようですね」
爪先立ちで様子をうかがうマトールを見ながら、イバイは手のひらから一匹の蝶を飛ばす。蝶はひらひらと囲みの上を越えていく。
「大丈夫なの、その……蝶?」
ストウィが心配そうにイバイを見つめる。魔術師は力強く頷いてみせた。その肩に蝶が戻ってきた。
「うんうん、そうですか」
イバイは二人に小声で告げる。
「どうやら、酔ったドワーフが少年を襲おうとしているようですね」
「ぬ、情けない地底の兄弟じゃな。どうしてくれよう」
マトールは強く拳を握りしめる。
「まだことには及んでいないようですが、遅かれ早かれ……」
囲みの中から悲鳴が上がる!
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