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胎動(四)

 サビヌが前に倒れていく。背中から流れる液体が温かい。地面に接する前に彼は気づくことができた。
「サビヌ! どういうこと?」
 ――ツェナが迎えに来てくれたんだ……。でも。
「ツェナ、逃げてくれ……」
 大地にうつぶせたサビヌは、薄れゆく意識の中で、視界外にいるツェナに声をかけた。
 そして、彼の意識は血溜まりに流れ込む血と一緒に大地に染み込んでいった。

「よくもやったわね」
 ツェナは顔に血を上らせつつ、ノバールの顔を睨む。
 その表情に怯えたからか、それとも己のしでかした現実に怯えてなのか、彼の短刀を握る手は前後左右に乱れていた。
 彼女の顔が紅ならば、彼の顔は蒼、見事に血の気が失われている。顔中の血が瞳にすべて集まってしまったかのような、充血した眼球が ツェナの辺りを見つめていた。一点を見つめることはできず、刻一刻と瞳の指す焦点は揺れ動いていたものの、彼女のほうを向いていたことは確かである。
「ノバール君だったっけ? その様子だと武器を持ったこと無いわね。当然、人の体を傷つけるなんて考えたこともなかったでしょう?」
 短刀を握る少年に彼女は、歩み寄っていく。視点は彼に集中している。
 ツェナは、両手をノバールに見せつけるよう、ひらひらさせ、己が何も持っていないことを明らかにした。
「サビヌを刺してそれだけ動揺している君に、私が刺せるかしら? やってみなさい」
 彼女は一点を射るように、ひたすらノバールを睨みつけたままだ。
「知ってる? 人を刺すということは、その相手の分まで生き抜いてやる、ということなのよ。君にそれだけの覚悟があるのかしら?」
 ノバールは短刀を握る手に力を込めた。震えは未だ収まらないものの、落ちかけていた短刀はしっかりと支えられるようになった。
「ほんとにいいんだな。そうか、サビヌの後を追いたいということか。そういえば二人はいい感じだったもんな」
 少年も彼女を睨みつける。彼女にかなり気圧されながらも、追い詰められた者特有の見苦しいまでの気迫を全身から振り絞った。
 ――まずいわね。今にも崩れそうなカードの山みたい……。狙いは一瞬……。
 ツェナは静かに歩み寄っていく。
 ノバールは黙って彼女を見つめている。

「う〜ん、間に合ったって言うのかしら?」
 物陰からツェナたちを見つめるのは神に仕えし一人の女だった。
「勇者さんはまだ大丈夫みたいだからお嬢様の力を見せてもらいましょ」

(五)

 風が吹いた。近くの庭から枯れ葉が舞ってくる。葉は樹木から離れたばかりなのか、まだところどころ青さが残っているようにみえた。
 形容しがたい叫びを発しつつ、ノバールはとび出した。足元が震え、その振動が彼の全身を激しく揺らしている。もちろん、両手で構えた短刀の切っ先も震えており、あまり効率的に他人を傷つけることができない様子といえよう。

「なかなかの勢いね」
 覗いている女僧は呟く。表情、声からは緊張を見てとることはできない。刃物が扱われる風景を見慣れているということか。
「でも、あんなに全身が震えていてはダメダメね。お嬢様の相手にはならないわね」
 そう言いながら彼女は全身の力を抜き、若干リラックス状態に入る。

 迫る刃を視野の中央に置くツェナとしては、アゾルデのようにのんびりとしてはいられない。全体の様子を眺められているわけでもなく、一局面しか見ることのかなわない一個の人間としては、目の前に展開する事例にすべての意識を注ぐだけである。
 ――う〜ん、切っ先の揺れ方が不規則で……、タイミングが図りにくい。
 彼女は手先をいつでも動かせるよう気を張りつつ、迫り来る刃を凝視していた。グレーヌが行動に踏み出すきっかけを探している間にも、二人の距離はどんどん詰まりつつある。

「う〜ん……」
 サビヌの唸り声がした。
 二人の耳に届いたその声は、異なる作用を各人にもたらした。
 ――一人刺したのならば、もう何人でも同じだ……。刺せ、というのならば刺してやる!
 握る手先に力が入った。その結果、刃先の震えが収まる。
 ――サビヌ? 急いで先生に見せなくちゃ!
 刃先に払っていた注意が、サビヌにずれてしまう。その結果、この後、迫りくる刃への反応が遅れてしまうのだった。

 そして。
 刃はツェナのもとにたどり着かなかった。
 彼女の手刀が短刀をはじき跳ばしたのだ。
 彼女の意識がそれた間に、予想以上に両者は近づいていた。ツェナが理想としていた間合いの内側に侵入されてしまっていた。
 それでも、彼女の無意識は身体の損傷を防ぐために静かに素早く動きを見せる。無意識がはじきとばした短刀の軌跡は大きなものだった。
「えっ?」
 軌跡の先には、サビヌが横たわっているのだった。

(六)

 金属音。
「えっ!」
 短刀は気絶した少年に当たらなかった。サビヌに当たる寸前、軌道を急激に変化させたのである。
 ツェナは慌てて駆け寄る。手首を拾い脈をとる。彼女は全身で息を吐き、緊張を若干緩めるものの、サビヌが未だ血溜まりの中にいることを思い出しさらに血色を失うのだった。
 ツェナの肩に手が置かれた。振り返り見上げると麻の貫頭衣をまとった女性が一人いた。彼女はサビヌのほうに一瞬視線を向けた後、包み込むような笑みを満面に浮かべていく。その表情にツェナは、助かったのだ、という安堵感を感じてしまう。
 麻の貫頭衣、そして頭髪を覆い隠す頭巾をまとっているこの女性、道の神コムに仕える娘であろう。その衣に大きくつるはしを基調としたデザインの刺繍がされているからだ。神に仕えし人々は、人々に信仰を勧めるためにさまざまな慈善事業を行っている。人々の健康管理もその一つだ。そういったわけで、入信してまず最初に教わる技術の一つに、身体に関する簡単な応急処置がある。だからこそ、そんな技術を 持った娘を見て、ツェナは安堵感を覚えるのだ。
 ましてや、コムの信仰者である。コムに仕えし者は修業の一環として、各地の街道観察と称して旅に出ることが多い。旅行く者の多いこの宗派の信者ならば、ますます安心できるというものである。旅先で実際に鍛錬してきた技術を使ってもらえるからだ。
「大丈夫ですよ、助かります」
 力強い自信を感じさせる声。ツェナの不安はますます薄れていく。

「なんでサビヌばっかりが!」
 ノバールは急に軌道を変え遠ざかっていった短刀を目指す。
「おまえの負けさ、ノバールよぉ」
 ノバールが手を伸ばそうとしたちょうどその時、短刀は薄汚い布靴に踏みつけられた。ノバールが見上げると、サビヌとの戦いをくぐり抜けた少年の顔があった。
 少年は短刀を握るノバールの気迫に薄気味悪いものを感じ、硬直していた。認めたくないものの、彼自身恐怖を味わうはめになっていた。
 短刀がノバールの手先からはじかれ、彼の足元に転がり落ちたとき、ようやく硬直はとけたのである。
「おまえはやりすぎたのさ、レナイに操られたとしても、こんなものは使う必要はなかったのさ」
 少年は短刀を近くの垣根に投げ込む。向こう側で猫の叫び声が聞こえた。
「ようやく俺も目が覚めた。レナイは駄目だ」
 ノバールは暗いものを瞳に燃やし、少年を睨みつけている。
「俺たちが傷ついたところで、サビヌのように涙流してすがりついてくれる者はいないだろう」
「力があれば傷つかない……」
 少年は憧憬を込めてサビヌ、ツェナたちのほうを見つめている。
「俺もレナイについた頃はそう思っていたさ。あいつもな」
 倒れ伏している相棒のほうを指で刺しつつ、彼は話を続ける。
「力はより強き力に敗れるんだ。その敗れたときに涙流してもらえる者は力の強弱を超えた結果を導き出すんだ。俺は今回の件でとことんそう感じたね」
「弱虫め、レナイさんを裏切るというのか?」
 少年はノバールとサビヌを見比べる。そして、相棒のもとへ歩み寄る。
「そうだな、俺と相棒はもうレナイさんのところには行かない。それがいいだろうな」
 ノバールに視線を向けずに一言告げる。
「おまえもよく考えたほうがいいぞ、レナイが次に短刀を突きつけてくるのはお前かもしれないからな」

「すまない、俺の相棒も見てもらえないか。ムシのいい話だとは承知しているつもりなのだが」
 相棒を肩に支え、ツェナたちのほうに歩み寄る少年だった。


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