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占顔(一〇)

……母さん」
 ツェナは一人呟く。彼女に近づいていたピーレブには聞くことができたが、父親ほど近づいていなかったサビヌの耳には届かなかったろう。
 ――まずいこと聞いたかな?
 父親は気まずさを隠すため、必要以上に明るい声で彼女に別れを告げることにした。
「今度食べにきてくださいよ。サビヌがどんな顔でツェナさんと過ごしているかも知りたいし」
 ツェナは軽くうなずく。
「もちろん喜んでお伺いしますわ、ピーレブさん。それじゃ、サビヌ、またね」
「ツェナ、今日はその、なんというか、不思議な日だったね。また会おうね」
 彼女は微笑みを浮かべつつ、手を激しく振り、後ろに下がっていく。サビヌにとって、その微笑みは真夏の太陽を浴びるたんぽぽのようだった。
 ピーレブからみれば、元気なお嬢さんという印象である。後ろも見ずに、豪快に手を振る彼女の周囲では、ちょっと邪魔だなぁ、というようにしかめ面をする大人たちの姿を見ることができた。

「あら、サビヌ、お父さんと帰ってきたの。珍しいわねぇ」
 かまどの火の具合を看ながら、サビヌの母親は声をかけた。香ばしい野菜たちの薫りが狭い家屋の中を満たしていく。
「ギルドそばの屋台村で会ってね」
 ピーレブはサビヌの頭をゴシゴシと手のひらで包み込みながら声を返していく。
「まぁ、サビヌったら。屋台で食べてきたら夕食が満足に食べられなくなるから駄目って言ったでしょ。もう仕方のない子ねぇ」
「きょうは屋台がはじめてっていう娘がいたから案内していたんだよ」
 少年は親父の手のひらを頭からどかしながらも、反論を試みる。
「ほほぉ、あすこで食べていたゴキブリの串焼きもサビヌの紹介かね。あんなかわいらしいお嬢さんに勧めるならもう少し頭を使わないといかんな」

 父子の会話のあいだに、部屋の中央にある共同スペースに食事が並べられていく。この辺りでは、テーブルは高級な家具で、一般家庭や一般船員の間には普及していない。家族一同が寝そべったり、自由自在な姿勢で食事を採れる、床に布きれを敷きその上に食事を置くというスタイルが一般的なのだ。
 一同は堅いパンをちぎり、温かいスープに浸し、ふやけたパンをスプーンのように用いながら食していく。
 こうしてサビヌたちの夜は更けていくのだった。

 

 ツェナが家屋内に入ると、顔下半分が髭に覆われた老人が顔中を笑みで満たしながら、出迎えてくれた。
「お嬢様、すっかり下町がお気に入られたようですのぉ。このように初日からこのような時間にお帰りとは思わなんだですじゃ」
 ロンダ老が部屋の奥のほうに合図を送ると、素早く召使いたちが温かいスープなどの食材を運び込んでくる。冷めてもいい食材は既に食卓の上に配置済みだ。
 色とりどりの野菜・果物、数種類のスープ、焼きたてのほくほくと白い湯気をたてるパン、それぞれが別の香辛料で味付けされたあぶった肉……。
「今日は下町とわが家で過ごされる最初の日ということで、わが家一同が腕に腕を奮って食事をこしらえました」
 ツェナとロンダ老が食卓に着く。
「本宅での食事と比べましたら、みすぼらしくお感じでしょうが、どうぞお食べくださいませ」

 ツェナはサビヌとの出会い、屋台での出来事などを話しながら食事を採る。
「ほほぅ。お嬢様に虫を食べさせるとは、その小僧なかなかやりますな」
「下町ではみな、あんなものを食べるのですか?」
 老人は左手で髭をもてあそびながら言葉を選ぶ。
「好みによりますな。わしも若い頃には、よく口にしたものですじゃ。そういえばお父上も同じように戸惑われておりましたのぅ」

「ところで、グルーフ先生に用があります。あとで、手紙を書きますので、渡してください」

(一一)

 サビヌとツェナが知りあってから数日が経過した。その間、二人は街を探索してまわったり、一日中語りあったりして過ごしていた。
 ツェナは初対面のときに感じた衝動が正解だったと感じただけでなく、サビヌ自身の持つ固有の魅力にも気づいていく。また一方、サビヌも突如現れた彼女に最初戸惑っていたものの、彼女の人柄、考え方に魅かれていくようになる自分に驚きを隠せないのであった。

 そんなある日のことだった。
 その日、サビヌは、ツェナがやたら興奮気味と思えた。
「噂を聞いたの」
「どんな?」
「顔相を見てその人の将来がどうなるか、を判断してくれるそうよ。それがまたよく当たるんだって」
「顔相って何?」
「う〜ん、簡単にいえば顔ね。顔でやる占いみたいなもの」
「で、それがどうしたの」
 ツェナはやや大げさにため息をついてみせた。
「面白そうだなぁ、とか占ってもらいたい、とか思わないの、君は」
「そういうものなの? ツェナが行きたいみたいだし、ま、行こっか」
 ツェナは、何とかサビヌを誘い出せてほっとするのだった。

 占い――。この地上にある存在にまつわる、さまざまな隠された情報を読み取る作業である。この技術を身につけた者たちは、各自の特異な知識にしたがって情報を読み取る。
 顔相を以て運命を読み取る彼らのことをいくつかの語で呼んでいる。顔相師、占顔師、顔相占い師……。下町の民たちが親しむことの多い辻占いならば占顔師、上流階級の間では顔相師と呼ばれているという。

「ここよ」
 ツェナが示したのは一本の路地。その一角に品のいい男が一人、机を構えていた。机にかけられた布は麻であるものの、今日おろしたかのような織られたばかりの体をみせていた。
 サビヌたちが机に近づいていくと、男は開口一番こう言うのだった。
「ぬぬぬ……、これは。ふぅむ、なかなか。実に興味深い」
 サビヌの了承を得ないまま、占顔師は顔を凝視する。その様子に言葉をなくす二人。
「この方は将来、勇者と呼ばれるようになるでしょう」

(一二)

 部屋は静寂に覆われていた。その静寂を乱すのは蝋燭の音のみ――、そのようにロザンスには感じられた。
 ロザンスが軽く物思いにふけっていると灯りの向かいにいる師匠が視線を向けてきた。
 部屋の灯りは蝋燭一本のみ。頼りない光が部屋の闇を少しだけだが追いやっている。
「ここに来て何か学ぶことができたかね?」
 ――
 ロザンスは気づくと拳を握りしめていた。そのことに気づき、慌てて握るのをやめる。
「少しづつですが、何とか学べていると思います」
「そうかね? わしにはそうは思えないがな」
 師匠は口の端に嫌らしく笑みを浮かべていた。その笑みを弟子は嫌っていた。糸にかかった小虫を見つめる毒蜘蛛を想像させる。
「焦っておるな。お主も術師に簡単になれると思って弟子入りしたわけではあるまい。ましてや、わしの術は明るいものではない。暗きものの力を利することができればこその術じゃ」
 ――何度、聞かされたことだろう。ただ、蝋燭の灯りを見つめるだけの毎日。これならば、町はずれの姥のほうがよっぽどいろいろ教えてくれたもんだ。

「さて、すまんな。今日はここで下がらせてもらうぞ。来客のようだからな」
 ロザンスが灯りではなく、師匠を強くにらみつけていた。師匠はそれを咎めるどころか、ますます笑みを大きくしながら、それを受け入れていた。
 そして、この言葉を残して立ち去っていった。師匠の出ていった扉のある辺りをにらみつけながら、ロザンスはため息をつく。
「いつになったら教えてもらえる? ここに来てもう三年だぞ。確かに、噂で聞く暗黒魔道の修業と比べれば生易しい待遇だ。俺は師匠に入門を受け入れさせるために、村の宝を持ち出してきた。だというのに、結果はこれなのか?」

 床や壁を振動が伝わってくる。数カ月に一度はこの振動が伝わってくる。それとともに強力な魔法の波動を感じることもある。まがまがしい波動に師匠の色を感じる。
 こういった振動のあった後の数日間は、師匠の訪れも疎遠となる。通常、毎日一度の訪れでは師匠の顔を見ることができるだけだ。ロザンスから師匠に話しかけたことは最近はない。入門して、すぐこの狭く暗い部屋に入れられた頃にはいろいろと問いかけたものだ。
 ――あの頃は俺もまだ絶望していなかったものだ。
 自嘲の笑みが顔に彩りを与える。
 問いかけはすべて問いかけで返され、彼は何を言っても無駄と悟った。次第に強くなる絶望と師匠への恨み、この弟子入れを決意した己への嘲り、さまざまな暗い想念を、静かに燃え上がらせながら、ただただロザンスは灯りに見入っていた。

 今回も壁や床が揺れている。だが、師匠の波動は感じられない。
 日は流れ、床近くの小窓から与えられていた食事も与えられなくなった。
 空腹に堪えられなくなったロザンスは扉を開けてみた。扉は本棚の並ぶ部屋へつながっていた。本棚は荒らされ、棚と棚の間に多数の本があふれるにまかされていた。

第一篇 第一幕 占顔 完

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予告
第一篇 第二幕 竜龕(りゅうがん)
 己が勇者の器と信じられない少年は、戸惑う。これは、何もかもが少女の仕組んだことなのではないだろうか?
(全12回)


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