波紋(一)
久々に村へ旅人がやってきた。行商人でさえも季節に一度来る程度の村である。年に一回来るかどうかあやしい村落も大陸に無数にあるのだから、恵まれているといえば恵まれているのだが。
変化に乏しい農村地帯にとって、旅人というのは歓迎すべき存在でもあり、忌むべき存在でもある。今回の旅人はどうだろう。
話をすることができればいろいろおもしろそうな感じである。できれば――、であるが。
彼らは三人組だった。奇妙な武器を腰に下げた若い男性が楽しげに村を見てまわっている。そんな彼をたしなめながら、その日の夕食への期待を語る軽装の男は、背丈ほどある棍にもたれかかっていた。栗毛の長髪を後ろで一つにまとめた女性が、大量の荷を背負って二人に必死についていっている。胸にひときわ目立つ円盤状のものをぶら下げているその女性は、疲労の色が濃い。足はかなりもつれている。
若い男が足を止めて後ろを振り返った。かなり女性との差が開いている。軽装の男は彼が立ち止まった後もしばらく歩き進んでいたものの、仕方なく彼のもとへ戻ってきた。
星下暦三三三年――。
母親は、その旅人たちの訪れを聞いていてもたってもいられなかった。旅の途中で少女の治療方法を聞いたことがあるかもしれない……、また、円盤を下げた女性は神に仕えているのだろう。神に助けを求めてくれるかもしれない。
母親は旅人たちが滞在しているという村長の家へ向かった。
少女は寝台の上で眠り続けている。今日もまた……。
村人たちは旅人たちの話を聞こうと村長の家へ集まっていた。村長は村で唯一、酒を商っている。彼自身が酒好きであるため、村落の大きさのわりには、たくさんの種類の酒を楽しむことができる酒場がそこにあった。旅人が村を訪れた際には、旅人を肴に人々は酒や話をかわすのだった。
宴が静まり返った頃、母親は酒場へ入ってきた。盛り上がっている場に彼女のような沈んだ雰囲気のものが入っていっては、場を盛り下げる――そう考えてのことだった。
母親は、旅人に話しかけた。若い男と女性は、軽装の男を抱えて、与えられた寝室に酒場の奥へ向かうところである。
「わかりました。その病については聞いたことはありませんが、いくつか試してみたい方法があると思います。でも、ごめんなさい。今は急ぎの旅の途中なんです。帰りに必ず寄りますので、その時まで待ってくださいませんか」
事情を話したところ、女性がしばらく考え込んだ後、このような返答をよこした。母親は藁をもつかむ思いでうなずくのだった。
(二)
髪の毛が風に流れていく。たまには髪を束ねないのもいいものだ。風を頭から爪先まで、全身で感じることができるような気がする。
ツェナは街を歩いていた。サビヌは歩けるところまで回復したものの、未だ教会にいる。彼女は一人歩いている。彼がいない現在、無為に過ごす時間を共有する人物を彼女は知らなかった。
サビヌともずいぶん会っていないような気がする。祭りに一緒に行くことができないことを告げることを考えると、自然と彼のほうへ足が向かなくなってしまう。数日に一度道端で会うアゾルデの話によれば、彼は彼女と一緒に見てまわる祭りを楽しみに、苦い薬も残さずに飲んでいるという。また、彼はツェナの話になると実に生き生きとした表情になるという。アゾルデ曰く、これだけ想われて実にうらやましい、という様子だそうである。
ツェナは辺りを見回した。気づけば入り組んだ裏通りに入り込んでしまっていたようだ。不思議と迷いこんだという感じはしない。
壁を見た。木製だ。
朽ちかけかたに見覚えがある。そう、ここはサビヌと出会った場所ではないだろうか。いや、違うような気もする。そんなことはどうでもいいのかもしれない。彼のことを想い出すということは、彼を求めているということなのだから。
ザッ。
後方から足音がした。音に反応し、視線がそちらを向く。人影が角を曲がっていくのが視野の端に入る。サビヌくらいの身の丈だろうか。身の丈からまた彼のことを思い出してしまう。
追いかけようか、追いかけまいか。こんなところに彼がいるはずはない。彼は必死に体力回復に努めていると聞いている。
ザザッ。
迷いつつも足は動いてしまっていたようだ。ツェナも角を曲がる。人影の後ろ姿を見ることができる。サビヌよりも貧弱な体格だった。
さらにいくつか角を曲がっていく。人影の走る早さは彼女にとっては大したものではない。さまざまな感情に迷いながらでも、楽に追いついていくことができた。
いくつの角を進んできたことだろう。彼女はついに人影に追いついた。
人影はノバールだった。
(三)
血走った瞳にツェナの顔が映し出されている。瞳に映った彼女の表情とは対照的に、瞳の持ち主の表情はあまりいいものではなかった。
「なんで逃げたの?」
ノバールは彼女から視線を逸らし辺りに視線を走らせる。だが彼の求めるものは見つからなかった。
「話しかけられたら応えるように……って教わらなかったの?」
ツェナはそれとなく身構えつつも、明るい笑い声で語りかける。
……。
ノバールが何か呟いたようだった。
「えっ、なに?」
ツェナ聞き返しながら近づいていく。ノバールは先程より少し大きいものの、まだ小さな声で答えた。もう少しで聞き取れそうと、さらに近づいていく彼女。そこに蹴りつける少年。
「なんで追いかけてきた! サビヌの仕返しでもする気だったんだな!」
蹴りをかわされた少年は叫ぶ。
「それじゃ、もう一度聞くけど何で逃げたの? それと同じよ」
「なんだってえ」
「逃げたから追う、逃げるということは何かあるんでしょ。そう考えるのが当然よ」
周囲をさまよっていた視線を彼女に固定した。だが彼女の一カ所を見つめ続けるわけではなく、あるときは瞳、あるときは指先、またあるときは爪先……、視線のさまよう範囲がせばまっただけともいえようか。
「僕はレナイのおかげでもう帰る場所が無く なったんだ。知人に見つからないようこそこそ隠れて、生きているんだ」
誰を恨むのか明確にできないまま彼は一人言葉を吐き捨てた。
「いいことじゃないのはわかっているけれど、人のものを取るしかないんだ」
レナイを恨んでいるのか、そんな男をすがってしまった己を恨んでいるのか。
そんな彼を視界におさめ、彼女は言葉を発することができずにいた。ここまで語るようになるということはだいぶ落ち着いてきたということなのかもしれない。
こう考えたせいか、ツェナの警戒が緩んでしまったのかもしれない。これこそがノバールの狙っていたものかもしれない。
彼は懐に手をやり何かをつかんだ。彼女は とっさに今いる場所から位置を変える。彼女の顔があった辺りを十数の小さな金属片が通っていく。地面に落ちたのは菱だった。決して大きいものではない。が、顔に当たって安全なものではない。
「なっ……」
彼女の視界内にあった彼の指先から放たれた物体が、彼女の側を通り、視界外へと落ちていく。そして、地に落ち、物音をたてた。
少年は彼女の隙を見逃さずに駆けぬけていった。ふところから麻袋をつかみ出し、中身をばらまきつつ。
彼女はその姿を見送るしかなかった。
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