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報道のあり方を考える

 最近のニュース番組はどんどんとワイドショーに近づいている。物事の本質を掘り下げるのではなく、ただ単に表面をことさら興味本位に、わかりやすいところだけを報道利用者に押しつけるのである。

 たとえば、交通事故報道のあり方。
 ワイドショー的に押しつけると、事故を起こした人物の背景を描く。まぁ、たいていはよくあることだからなのか、「悲惨な事故でしたね」などとニュースキャスターやアナウンサーがコメントして終わる。ワイドショー的態度が上昇すると、事故を起こした人物はこんな悪癖を持ったひどいやつでした、もしくは、事故に遭われた方はこんなにも周囲から愛されていた人物でした、などというおざなりな態度を豪華な音楽で盛り上げて終わりである。
 本来ならば、どうしてその事故が起きたのか、再発防止のための策を分析して報道利用者に届けるべきものではないのか? 必要ならば、運転マナーの欠落、自動車の欠陥、道路管理者の怠慢こそを指摘し、改善を促すべきなのである。

 政治報道についても同じである。
 首相のどこそこが悪い、官僚機構のどこそこが悪い、〜〜改革が求められますね、などというコメントは何の役にもたたない。昨年末の与党内政治家の叛乱、といわれるものとても、ただ政治家たちの人間ドラマをショー的に報道する必要はない。必要なのは、政治の現場で何が動き、どうなろうとしているのか、という基本的な事実の羅列と、その有機的な結びつきの解説が報道に求められるはずなのだ。
 あの叛乱とほぼ同時期に、ひっそりと、原子力発電所建設を推進するための法律が審議されていた。この重要な法案に対しては、報道の焦点が当てられずに、ただわかりやすく、伝えやすい人間ドラマとして政治家の動きが報じられていた。彼の政治的理想などが語られるわけでもなく、ただ単に今までの議員生活の流れなどをあげて、いよいよ出世か? とあおるだけの報道。そう感じられてならなかった。
 現在の報道とて、政治たちの汚職などを伝えた後、「これでますます政治不信が深まりますね」と訳知り顔で語り合うコメンテーターとアナウンサーとキャスター。毎回のニュースでどうして汚職をしてしまうのか、汚職をせざるを得ない議員社会についての分析を描き、どうあるべきか、あるべき姿に変えていくために国民ができることを提案していくべきなのではないか。
 どう提案すればいいのかわからないのならば、素直に「これから政治をよくしていくにはどうすればいいのか」といい、考えていく時間を番組内外で作っていけばいい。
 どうでもいい安いギャラの若手芸人に金を払って出演させるよりは、自局の人間だけを登場させた方がよっぽど人件費は安かろう。まじめなアナウンサーだけで恐ろしいまでに真剣に明日を考える番組をつくってもよかろう。
 政治というのは、あらゆるものと(知らない間に)結びついている存在である。あなたが政治と無関係だと言い張っても、あなたは家から出れば道を歩くだろうし、空気を吸うだろう。その道や空気を管理するのも政治の役割だ。
 そういったところから、基本的な事例から丁寧に毎回説明してくれる報道番組があってもよかろうと思う。
 ころころ変わる閣僚の辞任・更迭をニュース速報で流すよりもよっぽどいいだろう。

 凶悪な殺人事件の分析。ワイドショー的に報道すると、推理ドラマやサスペンスドラマと同じように、犯人探しに重点を置いていることが多い。そうすることで、たくさんの模倣犯や、レベルアップした犯罪の増加をうながすと予想しないのだろうか?
 高校生の犯罪の報道を見聞きして、「俺も負けちゃいられんな」という稚拙な動機で凶悪事件を起こしたという報道を耳にした記憶がある。犯行アイディアさえあれば、熟練犯罪者でなくてもできる犯罪を、他の若者が行うのには、マニュアルとすることのできるワイドショー的報道があるからだと思う。
 犯罪関係者のデータ、動機などを国民全員で知る必要があるのだろうか? 捜査当局者が信用できないからこそ、みなで知る必要があるのかもしれない。だが、その情報により、新たな犯罪者が生まれるとしたら、必要ないのかもしれない。(2001/02/18)


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