現在のサイト:掌編:蛾のようだ
 < 親サイト:読み物コーナー(9) < たまねぎ須永の部屋〈うつつまぼろし〉(0)

蛾のようだ

著者:Tさん

 蛾のようだ。
 最寄りの駅から徒歩15分、安アパートへの帰り道でふとそう思った。
 辺りは何も無い工場地帯、それも12持を過ぎて辺りは真っ暗である。細い路地を歩く私は知らず知らずに電灯の明かりに引かれていた。
 点々と灯る明かりを見ながら自分を表現したのが、
蛾のようだ……である。
 顔を横に大きく振り、今自分が思ったことを拭おうと試みる。
「どうせなら、もっとましなものに例えられないものかね」
 声に出した音は大きかったが、辺りに誰もいないので気にせずに続ける。
「そう、カブトムシとか」
 言った後、自分の姿を振りかえるとそこには、貧相な体と汚れた衣服。やっぱり蛾か。
 落胆はしたがいつものことであり慣れたもの。足早にアパートへ向かう。アパートは自分の城、誰にも束縛されない自分の城。あそこでだけは誰も傷つけないし自分も傷つかないのをよく知っていた。
 足下に不幸な虫が落ちて来た。丁度電灯の真下なのでよく見える。蛾だ。
 蛾は羽をばたつかせ、もがいていた。夕方に降った雨の残りに羽を湿らせたのだろうか?
 それが不幸、違うね。これから踏みつぶされることがだ……
「……よっと」
 小さな虫の上で楽しく踊る自分は周りからどのように見えるのだろうか、虫の王者カブトムシのような自分、力を誇示する自分の姿は。
 幸い周りに誰もいない。何度も踏みつける。何度も。
 虫の屍骸をアスファルトに擦りつけながら、また歩き出す。
 来世は虫で決まりだな。それはそれでよいのかな。
 声を忍ばせて笑う。今よりは悪くは無いだろう。
 次の電灯にさしかかり、どうも妙なことに気付いた。逆方向へ向かっている、今まで進んできた方向にである。
 馬鹿。
 体を反転させアパートへ進む。
 自分以外の誰かが側にいたなら、恥ずかしくて道の反転などできず、何くわぬ顔で端まで歩かなければならないところだ。
 笑い声が聞こえた気がして辺りを見回す自分が、ひどく小心者に思える。さっき蛾を踏みつぶした所。もう蛾の形をしたものはなく、代わりに黒っぽい引きずった痕がある。
「可哀想だ。いったい誰がこんなことを……」
 自分で言ったわざとらしい偽善の台詞にまた可笑しくなる。
 と、その時。
 ――モソリッ
 電灯の上に何かがいる。自分の頭の上の方になにが?
 足を止めずにそのまま進む。後ろを振り返れない。
 次の電灯でも、何かがいる。
 ――モソリッ
 気配は先程より大きい。
 また次の電灯でも、更に大きい気配がある。
 自分の想像が恨めしい。そのなにかが巨大な蛾に思えてきた。
 心臓の鼓動がどんどん早くなる。食われる?
 そんなの怪奇映画の身過ぎだよという自分と、蛾に食われたらどうなるのという自分がせめぎあっている。今日の昼食でカレーと天丼で争ったやつらだろう。
 財布の中身の都合でその時はカレーのやつが勝ったが、今度は……
 ガチン
 次の電灯を通り過ぎる時、金属音のようなものが突然響き、それを合図に走り出していた。もうすぐ表通り、車がビュンビュン通る明るい道である。
 そのまま表通りまで無事に着いた自分は、後ろ勢いよく振り返った。人間不思議と明かりの中では強気な生き物である。
 しかし運悪く車が近くまで来ていたのには気付かなかった。
「あ」
 最後に見たのは電灯にぶら下がる数個の影、電気会社のおっちゃんたち。
 夜間工事なんかしてるなよ。  

(終)

解題

 以前在籍していた会社の先輩Tさんからいただいた掌編小説です。掌編はアイディア、オチが大事と感じさせる一編です。私のような、構成を無視して、だらだらと文章を書くタイプにはなかなか書けない雰囲気です。
 Tさんありがとうございました。

 また、Tさんへの感想はこちらへお送りください。責任をもって転送します。


[このページの一番上に戻る]
[読み物コーナーの最初のページに戻る]
[管理人:たまねぎ須永へ連絡]