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かばん

 鞄が置いてあった。
 自動販売機の前である。夕食を食べ終え、自分の部屋に戻ってTV番組に興じるような夕べ。
 自宅へ戻る道筋で、私は放置された鞄を見たのだった。
 茶色い鞄は、年配のビジネスマンがよく持つものに見える。脇に抱え込むには少しばかり大きすぎる。といって、肩掛け紐がついている肩掛け鞄というわけでもなかった。書類などの荷物を多く持ち運ぶ職種に従事している人物に似つかわしい鞄というわけだ。
 しかし、人通りもない住宅街になぜ鞄が置かれているのだろう。しかも、自動販売機の前にである。
 様々なマスメディアに広告を載せていることで知られる、清涼飲料水メーカーの自動販売機である。このメーカーの主力製品は、発泡性があるので、私としては好むところではない。その泡が、どうにもカルシウムを溶かしそうな感じで実に嫌な感じだ。
 鞄を自販機前に置いて、近くで飲み物を飲んでいる年配男性でも見られないかと周りを見回す。
 が、それらしき人物は見られない。それどころか、人っ子一人見つけることができなかった。
 ――もう、こんな時間だからな。
 胸ポケットから電話機を取り出して、時刻を確認する。20時半を過ぎるところだった。

 自転車通勤である。自然に優しい、などとうそぶいてみるものの、ただ単に自動車を維持するだけの経済力、自動車を運転するだけの度胸がないにすぎない。
 自転車をこぎながらでは、これ以上、自販機の周りを確認するのは難しい。鞄を気にしながらも、私は残りわずかとなった自宅への道のりを進むことにした。
 脳裏に竹林の風景が浮かんだ。
 そういえば、バブル経済で国内が騒いでいたころに、竹藪から数億円が見つかったことがあった。もしかすると、あの鞄は?
 だが、現在はいわゆる不景気という世相である。そんなことはあろうはずがない。
 とすると、あの鞄は何だというのだ。
 触らぬ神に祟りなし、というではないか。己に無関係なものに関わる必要もあるまい。
 中に札束が入っていなかったとしても、交番に届ければ、持ち主から謝礼を貰うことができよう。しかし、自信満々に置かれた鞄から、紛失物としての雰囲気を感じ取ることはできなかった。
 あれは、〈ここに置く〉という明確な意志に従って置かれているような気がした。とすれば、なにゆえに?
 落とし物を交番に届けるような正直者を捜すためか? もしかすると、落とし物の鞄を前に人がどのような行動をとるのか試す実験が何者かにより行われているのかもしれない。
 最悪のパターンもある。
 安全と水は、ただ。そういわれていた時代も遠くになりつつある。
 鞄の中に爆発物が仕掛けられているということもあり得る。飲み物を自販機に買いに来た人物が不用意に鞄を動かすと、ドカン、というわけだ。だが、昨年に閉鎖された電器屋の前に置かれた自販機の前に爆弾を仕掛けることで、どんな目的を達成できるというのか。

 灯りが見える。いろいろつまらないことを考えているうちに、我が家にたどり着いてしまった。
 いやはや。どうやら疲れているのかな。どうでもいいことが気になるとは。
 自転車を降り、車庫にしまい込む。
 そして、家への扉を開けた。
 そのとき、閃光が走った。背中に背負い込んだ鞄の重みが、奇妙にも消えていく様を感じ取りながら、私の意識も消えていった。

(了)

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