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「夕顔という女性」


 夕顔という女性は死んだことによって、源氏の一生に跡を残した女である。死んだからこそ跡を残すことができたという読みは間違っていないだろう。
 光源氏は「色好み」の男性であるのは、誰でも知っていることである。そのような男性の記憶に影響を残すことのできた女性は多くない。藤壺宮、六条御息所、紫の上、空蝉、そして夕顔といったところであろう。
 有名な「雨夜の品定め」で「中の品」の女性にもいい女がいるもんだ、という話を聞き、そのことに対する興味本位が源氏に手を出させた。そのような作品の流れの中で相手とされた女は空蝉と夕顔である。軒端萩もいるのだが、空蝉の身代りとなっただけの役割の女性であるので、本稿では特に語る必要もなかろうが一応触れておこう。軒端萩は空蝉とちがい、容易く契ってしまう。「上の品」の源氏を拒むことなどは思いもできない「中の品」の女の一般的な姿がここにあるのだ。その一般的な姿を描くことによって、空蝉の拒みの態度を浮び上がらせるのが、軒端萩の登場の意味である。
 空蝉は、一回だけの契りであるが、その一回だけという拒みの態度が源氏のに彼女を印象付けることができたのだ。

『源氏物語』のなかで、理想の出自と地位と容貌と心ばえをもつ人物に設定された光源氏が、つぎつぎと仕掛けてゆく懸想に、はじめからおわりまで拒否的な情緒を貫いてゆく女性は、藤壺の宮と空蝉の二人である。(中略)だが底を流れる作者の自己主張のモチーフからいえば、藤壺とまったく同格に、光源氏が優雅で巧みに言寄るのをしりぞける空蝉の挙動は大切な意味をもっている。

(「源氏物語論」第T部 吉本隆明著)

 とるにたらない「中の品」の女であった空蝉が源氏の記憶に残るためには、そして『源氏物語』という作品で描写されるためには、「拒む」という特徴が必要であったのだ。空蝉と同じ「中の品」の女であった夕顔には、源氏の記憶に残るような特徴が何があったのだろうか。

 まず、〈らうたげ〉な女というだけならば、夕顔は源氏の記憶に残らなかったはずだ。頼りない怖がりで〈わかう心〉だとしても、やはり同じように残るとは思えない。今あげた条件を夕顔が両方満たしているからというわけでもあるまい。そのような女性は「中の品」でなくとも、他にもいたはずである。
 確かに夕顔と出会った頃の源氏にとっては、〈らうたげ〉で〈わかう心〉の女は珍しかったことだろう。「拒否的な情緒」を持つ藤壺の宮と空蝉、気位の高い六条御息所と葵の上のような女性とつきあっていた状況下においては、心休まる女性として夕顔を見ることが当然であったろう。それだけに、それまでの女性に対する態度よりも質の高い一途な態度を夕顔に示していたことも読み取ることができる。
 『源氏物語』のなかで、源氏が強引に牛車に乗せて連れ出して自分のものにした女は二人だけである。夕顔と紫の上だけである。夕顔は連れ出されて、一晩もたたないうちに亡くなってしまった。しかし、紫の上は廃院に連れ出されることもなく、源氏の寵愛を一身に受けることになる。これも紫の上が、連れ出されたあとも生きていたからである。とすると、夕顔が廃屋で死なずにいたならば紫の上のような立場になることが可能だったのではないだろうか。
 紫の上の幼女性は、夕顔の〈わかう心〉という内面と〈らうたげ〉な外面で十分に置き換え可能なものであった。しかし、藤壺の宮ゆかりの血筋という点は置き換え困難というよりも置き換えられないものだったろうが。もっとも置き換えられる、置き換えられないにしろ、ここで夕顔が紫の上のような立場になっていたのならば『源氏物語』は今のような国民文学的立場にはなっていられなかっただろう。

 周知のように、光源氏にはもともと、一人の女性を恋慕すると、その型その血統の女性にあくまでも執着するというあやにくな性癖があった。藤壺宮に対する思慕の情が、姪の若紫に移るのはその典型である。この気持は、やはり藤壺の姪にあたる女三宮を迎えるときの底意識にも潜んでいた。六条御息所からその娘秋好中宮へ移る場合も、夕顔から玉蔓への恋情転移もそれである。以上の事実と関連して重要なことは、ゆかりの原点に位置する藤壺や六条御息所は、光源氏栄達の物語の筋立てを支配し、根底においてつき動かす存在であったことである。

(「夕顔物語と玉蔓物語との接点」小林茂美著)

 ここにあげられたような『源氏物語』の根底にある「ゆかり」の女捜しとして盛り上げるために夕顔は、紫の上の立場になれなかった。そして、さらに死ななければならなかったのだ。
 一生のうちに何回かしかできない、若者らしい一途な恋をする源氏に襲いかかるのは、〈らうたげ〉な恋人、夕顔の死。
 こうだからこそ、源氏にも読者にも夕顔という女性は印象が強く残り、「ゆかり」の人物の三人目の玉蔓の登場につなげることができるのだ。
 また、さきほどあげた夕顔に対する源氏の熱情的な恋情は、夕顔の死というものを盛り上げるためのものである。だからこそ、あすこまで源氏は夕顔に夢中になったのだ。〈らうたげ〉で〈わかう心〉というのは、作者の物語構成的理由なのである。

彼女(夕顔のこと、引用者註)は、ヒロイン玉蔓君導入の、最初のきっかけをつくっている。のみならず、以下に展開する求婚物語の特異性を形づくる「養父対養女」の奇怪な交渉過程において、その折ごとに、ゆかりの姫君に対する光源氏の執拗な情念を誘発する役割をになっていた。

(中略)

つまり弁明の手段に値するほどの比重をもって、夕顔の面影は光源氏の心底に巣くっていたのである。その意味でも、ゆかりの姫君に対する懸想――奇怪な交渉譚を誘発する契機の女性として、求婚物語の基底に夕顔君はすわるべき存在であった。

(前出「夕顔物語と玉蔓物語との接点」)

 というように、夕顔は根づいていたいたのだった。

 夕顔が死んで、後々の「ゆかり」の三人の母型が揃うことになった。そして、「夕顔」の巻の次の巻は、「若紫」となり、「ゆかり」の女たちが出てくるのだ。そして、若紫と呼ばれた幼女も大きくなり、紫の上と呼ばれるほど大きくなり源氏の寵愛を一身に受けるようになる。
 やがて、六条御息所の娘も源氏のもとに託され、養女となる。最初の「ゆかり」の娘、紫の上も源氏に養育され、光源氏の妻として頂点に昇りつめる。六条御息所の娘も源氏に養育され、秋好中宮となり帝の妻として頂点に昇りつめる。だが、同じように源氏に養育された玉蔓は髭黒の右大将の妻になったにすぎない。この差は何を意味するのだろうか。 髭黒の右大将の寵愛を一身に受け、北の方を狂わせてしまったくらいなのだから、玉蔓も髭黒の妻としての頂点を極めることができたということも可能ではあろう。だが、宇治十帖の時代には大臣まで出世するとはいっても、髭黒は臣下でしかない。帝や源氏の妻としての頂点と比べるならば、せいぜいお山の大将といったところであろう。というわけでやはり差はしっかりと存在するのである。
 この差は、源氏の養育態度によって発生したものといえるだろう。紫の上の養育態度は自分の妻とするためであり、秋好中宮への養育態度は臣下の女性としての最高の位を極めさせるというところにあった。秋好中宮へは何度か手を出したくなるものの、厳格な女性であった六条御息所に託されたことを思い出すと、手を出さずに育てることができた。
 しかし、玉蔓に対しては違った。引き取った理由からして、亡き夕顔とは十分心を通じあわせることのできなかった恋の思い出の再来を願って、という点がありありと見えた。そういうわけで養育態度もしっかりとはしない。養女として引き取ってしまった以上、契ろうとすることもできないけれど、契ってみたい、しかし自分はもはや年老いてしまいすぎている。といって他の男に渡すのも惜しいというわけで源氏は一貫した養育態度を貫くことができなかった。この点が玉蔓の結末が他の二人の養女との違いとなる点であった。もっとも三つの結末パターン(帝、源氏、臣下)のひとつとしてとらえたほうが自然であるかもしれないが。

 ここまで夕顔の立場を見てみたが、娘の玉蔓をも視点に入れてみればわかる通り、三人の「ゆかり」の娘たちの物語への導入という役割を夕顔は持たされたているのだ。


【参考文献】
「源氏物語論」 吉本隆明著 一九九二年六月二十六日第一刷発行 筑摩書房(楽天ブックス
「夕顔物語と玉蔓物語との接点」(『源氏物語論序説―王朝の文学と伝承構造 T―』所収) 小林茂美著 昭和五十三年五月二十日発行(一九七八年) おうふう(桜楓社)
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